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院長挨拶


院長:岩動 孝(いするぎ たかし)

 昭和54年両親の後を継いで現在地に開業して以来、泌尿器科・皮膚科そして人工透析を主体として診療してまいりました。多くの患者さんやスタッフに励まされてここまでやってまいりましたが、事故一つ失敗一つせずにやってこられたのは、ただ一生懸命、安全第一、患者さんのためを思って診療にあたってきたためだと思っております。
患者さんが納得するまで説明する、出来ないことは出来ないという、必要でない治療・検査は行わない、大きな病気が見つかった時は関連病院に直ちにお願いする、出来るだけ廉価で確実な医療を心がける、などあたりまえのことをモットーにやってまいりました。
これからの情報開示の時代、説明と同意(インフォームドコンセント)に重要性を認識しつつ、在宅医療や在宅介護のお手伝いをしながら今後も頑張っていきたいと思います。

院長略歴

院長岩動 孝
昭和17年7月17日生 午年 血液型A型
岩手医科大学昭和42年卒
泌尿器科学専攻 日医認定産業医、健康スポーツドクター
趣味 テニス、ゴルフ、アマチュア無線、フィットネス

 

スタッフ紹介

Photo
事務さん:私達がお相手します。 透析室:透析スタッフです。明るく親切な患者さんの親身になって楽しい透析ライフをお約束します。
事務長 大澤国夫
事務員 杉山七海、菊池麻里奈
看護婦 山本藤子、菅原享子、高宮恵子、谷内千賀志、田鎖由香利
塩田志保子、泉山恵美、寺岡楓、宮崎 幸
看護補助 勝田由香、藤沢真弓
栄養士 大澤佳奈子
厨房 福本俊子、小原恵美




医院の沿革 岩動家のルーツ

 天正十年(1582年)、前田利家に石動山を焼かれた岩動家の先祖である天台宗の僧侶・石動大円慧我(だいえんけいが)が岩手県紫波郡に落ち延び阿吽山覚王寺(あうんざんかくおうじ)を建立、その後10代目の岩動正雄(昭和11年1月21日没)が紫波町北日詰に医師として開業。12代目の岩動隆一(岩手医専卒)が昭和11年盛岡市仁王小路(現在の大通三丁目)に開業。妻岩動すみ(東京女子医専卒)とともに昭和53年まで同地で岩動医院を続けた。
 江戸時代は石動であったが、廃藩置県で南部藩が岩手県になったところで石動を岩動姓に変えたといわれているが定かではない。
 昭和53年8月、岩動隆一・すみの次男岩動 孝が岩動医院を継承。
昭和54年4月医療法人芝蘭会 いするぎ医院となる。
 医療法人芝蘭会は、紫波町日詰の岩動正雄邸をかつて芝蘭邸と呼んだことにより、岩動隆一が命名。芝は霊芝(れいし:霊妙なの働きあるきのこ)、蘭は香りの良い草を示し、ともにすぐれたものの例えである。
 岩動隆一の父、そして岩動正雄の長男である岩動孝久は俳名を岩動露子といい、石川啄木、野村胡堂、金田一京助などと知己であった。
孝久の弟岩動康治(俳名:炎天)は元科学技術庁長官・参議院議員岩動道行の父である。


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